古事記の中のスサノヲ物語 (一)

古事記の中のスサノヲ物語 (一)

スサノヲは荒らぶる神?

「古事記」の物語の前半では、スサノヲは荒らぶる神である。アマテラスの弟神として生まれながら、乱暴狼藉の数々を働き高天原の神々に嫌われる。

ついにはアマテラスも弟をかばいきれなくなり、罪を与え地上に追放した。しかし荒らぶる気性は変わらず、親切に食料を与えてくれた女神を些細なことで怒って切り殺してしまう。

しかし、流浪の果てに辿り着いた出雲からは、スサノヲの性格は一変する。怪物の八岐大蛇に生贄にされそうになっていたクシナダヒメを救うのである。

救ったクシナダヒメと結婚して、新居を築き、詠った日本初の和歌がこれだ。

「八雲立つ 出雲八重垣妻籠めに 八重垣つくる その八重垣を」

スサノヲは、高天原の追放、流浪の生活など、さまざまな苦労と辛酸を味わいながら成長する、そして地上の王となるのである。

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古事記の中のスサノヲ物語 (二)

古事記の中のスサノヲ物語 (二)


スサノヲは自然災害の神か?


日本神話にはさまざまな神が登場するが、最も日本人親しまれている神としては、スサノヲがトップクラスではないだろうか? このスサノヲはアマテラスの弟神でありながら高天原の大切な畔を壊したり、機織場に馬の皮を剥いで放り込んだりという乱暴を働く。それに耐えかねたアマテラスは天石屋戸に籠り、世界が闇に包まれたという物語は、「天石屋戸隠れ」としてあまりにも有名である。


ではスサノヲの「田の畔を壊す」「馬を放り投げる」などの行為は何を表すのであろうか。これらはいずれも、暴風雨による自然災害と同じである。つまりスサノヲは人間社会に対する自然の災害・天災を象徴している神として物語では登場する。


そう考えると、太陽神であるアマテラスが石屋戸に隠れることで世界が闇に包まれる自然現象も理解ができる。


その後、スサノヲは追放され出雲に天下ったわけだが、八岐大蛇を退治し英雄となるが、これも八岐大蛇を水害の象徴と考えると、そこには治水に成功した英雄の物語と変化するのである。
スサノヲは日本神話の中で暴風雨のような自然災害の神としての一面を持つ神でもあるのである。


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◆出雲神話と高天原神話を繋ぐスサノヲ(一)

◆出雲神話と高天原神話を繋ぐスサノヲ(一)


◆◇◆出雲系神話と高天原系神話を繋ぐスサノヲ神話:なぜスサノヲ神話が作られたのか?

 『出雲国風土記』に登場するスサノヲ命(須佐之男命・素盞嗚命・素戔嗚尊)は、おおらかな農耕的神であった。しかし、『記・紀』神話に登場する スサノヲ命は巨魔的な巨大な神として登場する。この落差は一体何を意味するのであろうか? しかも、『記・紀』神話のスサノヲ命は、高天原・葦原中国(出 雲)・根の国(根之堅州国)と三界に登場する特殊な神として登場する。

 スサノヲ命は、『記・紀』神話の中で、この三界を繋ぎ、その中でも、出雲の神々を高天原の神々の下に位置付ける(天津神と国津神を分け、日本を 天津神の支配とする)という大きな役割が科せられているようにも思える。それは、『記・紀』神話の中の「出雲系神話」と『出雲国風土記』や『出雲国造神賀 詞』の「出雲神話」の説話の内容の違いからも窺うことが出来る。

 『記・紀』神話の中の「出雲系神話」は、大和朝廷が本格的に中央集権化を推し進めるにあたり、新たに作られた『記・紀』神話の中の「高天原系神 話」と政治的に結び付ける意図のもと、『出雲国風土記』や『出雲国造神賀詞』の「出雲神話」を作り替えたと考えられる(推測できる)。

 その際、二つの神話を繋げる(結び付ける)大きな役割として、三界にまたがる重要な神の存在が必要とされたに違いない。その二つの神話を結び付 ける神こそ、スサノヲ命(天津罪を犯し高天原を追われたとする神)であり、スサノヲ神話(地上に降り国津神の祖神となったとする神話)であったと考えられ る。

 この「出雲系神話と高天原系神話を繋ぐスサノヲ神話」というテーマで、以下のことについて少し考えてみたいと思う。

 ①大和の大物主神(大物主命)と大和朝廷(:当初は大和朝廷も最高神として祀る)、②皇祖神・天照大神(天照大御神)と大和朝廷(:中央集権化 の進展にあわせ氏神?から国家神へ)、③疎かに出来なかった出雲系の神々(:大和朝廷成立以前から古い政治的・文化的中心があった)、④死と再生の信仰・ 習俗を色濃く残す出雲(:死と再生の説話の多さと出雲系信仰)、⑤死者の国(冥府・他界)と妣の国(黄泉国・根の国)・出雲(:大和朝廷にとって負のイ メージ・大和に対する反対概念と捉えられていた)、⑥死と再生を超越した至高の世界・高天原(:首長霊信仰にもとづき死のない特殊な世界観をもつ特権的世 界)、⑦死者の国とは常世国・出雲(:本来は永遠に命が続く世界、海の彼方にある神々の世界であった)、⑧二つのスサノヲと二つの神話(おおらかな農耕的 神と巨魔的神を繋げる『記・紀』神話の意味することとは)など、一つ一つ考察してみようと思う。

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◆出雲神話と高天原神話を繋ぐスサノヲ(二)

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◆◇◆出雲系神話と高天原系神話を繋ぐスサノヲ神話:大和の大物主神と大和朝廷(1)

 縄文時代、大和の地では、人々は森林や海川の近くに住み、農耕を知りながらも、狩猟採集を主たる生活手段としていた(縄文文化)。縄文の人々は 自分たちの生活を豊かにしたり、また災いをもたらしたりするもの(精霊、霊魂、霊鬼、霊威)を、すべからくカミと見なし、そのカミは恵みと恐れの神(森羅 万象、自然には創造と破壊、荒ぶる力と和らぐ力を繰り返す。その自然の摂理の圧倒的な姿の背後に人智を越えた大いなるもの、聖なるものの存在を感じ取るの だ)としていたようである(精霊崇拝・精霊信仰)(※注1)。

 原初の三輪山の神もこのようなカミであったと考えられる。大和の御諸である三輪山は、御諸(みもろ)とは御室(みむろ)ともいわれ、神奈備山 (かんなびやま、神山)のことだ。正体を蛇神とされる大物主(三輪山の神を、恐ろしき「モノ」=大物主と名付けたのは、大和朝廷の側であり、それは、決し て本来的な名ではなかったと考えられる)が棲むというこの山麓は、実は太古からの太陽信仰(朝日信仰)の地でもあったのである。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)万物にカミなるものが存在するという思想は「アニミズム」と呼ばれていて、世界中のあらゆる民族の文化の古層に確認されている(マナイ ズム、自然崇拝、死霊崇拝などの原始的な宗教観念も、縄文人の信仰には祖霊信仰の要素があるとも)。確かにアニミズムは近代合理主義とは相容れないものが あるが、現代科学でも解明できない自然界の神秘や、大地震などの災害、眠る時に見る夢や熱狂してトランス状態に陥る人間の心理のなかに見ることができる。

 特に、アジアそして日本では近代文明が発達し、合理化が進んでも、習俗や祭りなどの中にアニミズム的な意識が濃厚に残っている。縄文時代は土 偶・ストーンサークル・ムラ集団の形などの研究により、アニミズム的な世界(精霊崇拝的な世界)に人々が生きていた時代であるとされているが、縄文時代が 過ぎ時代が変わっても、人間の無意識的な古層の中にはその時代の魂(アニミズム的な世界=精霊崇拝的な世界)が今も生き続けているようだ。

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◆出雲神話と高天原神話を繋ぐスサノヲ(三)

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◆◇◆出雲系神話と高天原系神話を繋ぐスサノヲ神話:大和の大物主神と大和朝廷(2)

 『古事記』に記されているオホゲツヒメのような説話や大祓のような儀礼のなかに、縄文文化の土偶や土器などに見られる宗教的・精神的活動を読み 取る学者がいる。土偶は最も一般的な説として、妊婦を表し女性の産む力を大地に感染させて、作物や獲物の豊穣を祈る呪具であったと考えられている(死んだ 妊婦の霊を慰撫するとする説もあるが)。

 また、ほとんどの土偶が壊れた状態で出土することから、土偶を身代わりに破壊することにより災いや疫病を祓ったのではないかと考えられ、人形 (形代)に穢れを移して水に流す神道の祓えに極めて近い儀礼の起源を読み取ることができそうだ(ただ、神道の人形の祓えに発展したかは議論があり、中国か ら渡ってきた習俗ともされている)。

 また、土偶が大地の恵みを司る女神(大地母神)を表現しているとする説もある。土偶の破壊の跡から、殺されることによって人に穀物をもたらした オホゲツヒメのような女神の説話を思い出すことができる(※注1)。『古事記』に登場するオホゲツヒメ(大気都比売神)は、スサノヲ命(須佐之男命・素盞 嗚命)をもてなすために口や尻から食べ物を出したが、汚物を食べさせようしたと誤解され、スサノヲ命に殺されてしまう。

 そして、その死体から蚕や稲・栗・小豆・麦・豆が出てきたのだとしている。『日本書紀』ではウケモチ(保食神)で、ツクヨミ命(月夜見尊)に斬 殺されたとしている(※注2)。すると、こうしたオホゲツヒメなどの説話は縄文時代の宗教的儀式の名残りなのであろうか。しかし、大地母神的土偶信仰も形 代的土偶信仰も弥生時代には継承されず(伏流水のように継承され)、なぜか『記・紀』神話に突然復活したかのように登場する(さなざまな意見もある)。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)縄文時代の初期から女性像の土偶が作られており、大地母神の崇拝があったと考えられる。しかし、それが縄文時代中期になると、作った土 偶を破片にし、方々の場所に分けて処理していたようだ。当時の人々にとって栽培という行為は、大地である女神の体を害することにより、その死体の破片から 毎年、作物が生え出してくるということを意味していた。

 弥生時代になると、稲を始めとする五穀が最も大切な作物になり、神話も五穀の始まりを説明するものへと変っていく。それが、『記・紀』に記され ているオホゲツヒメやウケモチの説話になったと考えられる。この部分は縄文時代の神話を受け継いでおり、女神の体から生み出された作物は、神話が編纂され た当時の農業を反映して、五穀の起源を説明しているようだ。

(注2)ツクヨミ命は、『日本書紀』によると、男の月神で乱暴な神とされる。食物の神・ウケモチ(保食神)を殺し、姉神のアマテラス(天照大神) から「悪しき神なり」と罵られ、それ以来日月は昼と夜で別々に住むようになったと語られている。そのウケモチから粟・稗・稲・麦・大豆・牛・馬・蚕などが できたので、アマテラスはこれらで農耕を始め、養蚕を始めさせたという。このようなタイプの説話は、ハイヌウェレ型説話に属し、南方に多く分布する。そし て、この殺される神は、しばしば月と同一神とさるか、これと結びつけて考えられる。

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◆出雲神話と高天原神話を繋ぐスサノヲ(四)

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◆◇◆出雲系神話と高天原系神話を繋ぐスサノヲ神話:大和の大物主神と大和朝廷(3)

 縄文土器(蛇体装飾の土器)には、縄文人の世界観(死生観・宇宙観)が表れていそうだ(蛇はシャーマニズムとも深く関係し、シャーマンは自分の 霊力を示すために、蛇を手なずけていたようである)。それは、蛇に象徴される死と再生の円環的世界観(森の思想・命の共生と循環)である。

 これは森とともに生き、森の永劫の死と再生の循環の中に身を委ねていた縄文人にとって自然な感覚であったと思われる。蛇は死と再生(復活・循 環)を繰り返す大地の霊そのものであると考えられていたようなのだ(森が破壊されていくとともに、蛇を神とする世界観は失われ、蛇を邪悪のシンボルとみな されていく)(※注1)。

 縄文後期以降になると、縄文土器は、突如として消滅してしまう(おどろおどろしいまでの情念の造形=荒ぶる藝術から、静謐さと単調さの造形=寡黙な職人の工芸へと変化)。

 しかし、なぜか神話・説話・民話のなかに再び甦るのである。その例として、『常陸国風土記』に出てくる蛇神・ヤト(夜刀神)、諏訪地方に伝承されていた蛇神・ミシャグジ、出雲系神話のヤマタノオロチ(八俣大蛇)、それと大和・三輪山のオオモノヌシ(大物主神)である。

 夜刀神や八俣大蛇は蛇神であり、自然の猛威を神格化した自然神とされ、ともに英雄によって退治される悪神とされている。これは、猛威をふるう縄文の神を弥生人が退治したという説話とも考えることができそうだが…。果たしてどうであろうか?(※注2)。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)古代人にとって蛇は、旺盛な生命力・繁殖・豊穰のシンボルとして考えられていたようだ。蛇は古い皮を脱ぎ捨てて脱皮を行う生き物であることから、新しい身体を得て生まれ変わる様子に、古代人は再生・治療・永遠の命を見ていたと考えられる。

 蛇信仰にまつわる伝承は多く、夜刀神伝承、ミシャグジ伝承、八俣大蛇伝承、箸墓伝承などがあり、蛇の古語「カカ」から類推すると、鏡(蛇の丸い 目)、案山子(蛇をデフォルメ)などは蛇を見立てたものと考えられ、正月の「鏡餅」は蛇がトグロを巻いた形とされ、関西に多い丸餅は蛇の卵の造形であると も云われている。

 ふと身の回りを見渡すと、現在の日本の習俗や行事に蛇の象徴(カミの具象としての蛇)に溢れていることに気付く。時代が下り文明化されていく中 で、蛇信仰は表面から姿を消していくが(やがて稲作文化の拡大とともに、蛇信仰は水の神や農耕神の信仰へと変質していく)、蛇信仰そのものは隠された形で 脈々と今日まで受け継がれきたのだ(今日に至るまで、隠れた地下水のように脈々と流れ続けて、日本の文化や日本人の精神構造に深く根を下ろしてきたのであ る)。

(※注2)日本には太古から蛇信仰があったことは知られている(縄文人が蛇に寄せた強烈な思いの源は、生命の根源・強さに対する憧れや希求、生命 力と再生力への崇拝、死と再生の循環のシンボル、水と母なる大地への信仰など、それらすべてが凝集して神与のものと考えられ、その象徴が蛇として捉えられ たようだ)。

 縄文土器の縁や把手に無数の蛇が描かれているし、そもそも縄文の「縄(なわ)」そのものが蛇の表現ではないかとされている(注連縄なども)。全 国には山そのものを御神体とした神社も多く、それらを「神奈備山(かんなびやま、神山)」とか「御諸(みもろ)・御室(みむろ)」と呼ぶ。

 その代表例が大和の三輪山で、この三輪という名前そのものが蛇がトグロを巻いている姿(円錐形の姿)を表しているとされている。また三輪山の神・オオモノヌシ(大物主神)は古来より蛇神で、水神・雷神であるとされていた。

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◆出雲神話と高天原神話を繋ぐスサノヲ(五)

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◆◇◆出雲系神話と高天原系神話を繋ぐスサノヲ神話:大和の大物主神と大和朝廷(4)

 三輪山を御神体(山そのものが御神体=神奈備山)とする大神神社(おおみわじんじゃ)は奈良県の桜井市にある。三輪山は、奈良盆地をめぐる青垣 山(倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭し 美し)の中でもひときわ形の整った円錐形の山(高さが四百六十七メートル、周囲十六キロメー トル、南は初瀬川、北は巻向川の二つの川によって区切られ、その面積はおよそ三百五十ヘクタール)で、古来より神の鎮まる山として御諸山(みもろやま)、 美和山(みわやま)、三諸岳(みもろのおか)と称され崇拝されてきた(山内の一木一草に至るまで、神宿るものとして、一切斧を入れることをせず、松・杉・ 檜などの大樹に覆われている=千古不伐。いまでも禁足地として神社の許可がないと登れないそうだ)。

 そうしたことから、大神神社に本殿はなく、拝殿裏の三ツ鳥居を通して直接に三輪山を拝する形になっている(※注1)。境内は蛇との縁が深く、参 拝に行くと拝殿下の手水所で、まず蛇に迎えられる。蛇の口から出る水で清めをして拝殿に向かうと、右手に「巳の神杉」という大杉がある。ここには蛇(巳= みいさん)が祭られていて、いつも蛇の好物であると言われる卵と酒が供えられている。このように古来から、三輪山は根強く蛇信仰が残る山であった(※注 2)。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)三輪山は山全体を神体山として古代信仰をそのまま今日まで伝えており、古代祭祀信仰の形態を知る上で重要な史跡である。神社は拝殿のみ があって本殿はなく、三輪山の山中には三カ所の磐座がある。中でも辺津磐座がその中心で、三ツ鳥居からこの辺津磐座までが古来から禁足地とされ、三輪山祭 祀の中心の場所だ。

 この禁足地からは須恵器や子持勾玉のほか、おびただしい量の臼玉が出土している。また大正七年(一九一八年)に発見された山ノ神遺跡は祭祀用の土製模造品のほか、無数の石製品・須恵器・勾玉・臼玉・管玉・小形銅鏡などが出土している。

 これらの遺跡は弥生時代に始まり、奈良時代に至る三輪山麓における古代祭祀の実態を示す貴重な遺跡とされている。また神域内は、三輪山を中心に、天然記念物として価値のあるものや、重要文化財としての拝殿はじめ、名勝・遺跡・建造物を含む神社境内地としての史跡だ。

(※注2)原始信仰においては、蛇は水の神・山の神の顕現として崇拝されていた。また、蛇はその特異な姿形、脱皮という不思議な生態、強靭な生命 力、その恐るべき毒などによって、古来、人々を畏怖させてきたばかりか、強烈な信仰の対象ともなってきた(蛇はその形から男性性を、脱皮するその生態から は出産=女性性が連想され、古代日本人は蛇を男女の祖先神として崇拝したようである。神=蛇身・カミか?)。

 さらに、祖霊が住まう山(神奈備)を蛇がトグロを巻いた形として連想され(蛇の最も特徴的な姿がトグロを巻いた姿形である)、三角錐の山(円錐 形の山)を拝むようになったと(信仰の対象となったと)考えられる(神奈備山信仰)。大和の三輪山がその代表的な(典型的な)例である。日本人にとってカ ミとは何か? その問いは、古代日本人の死生観・世界観、ひいては日本人そのものを問うことになりそうだ。

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◆出雲神話と高天原神話を繋ぐスサノヲ(六)

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◆◇◆出雲系神話と高天原系神話を繋ぐスサノオ神話:大和の大物主神と大和朝廷(5)

 三輪山の山中には至る所に磐座があり、太古よりの多くの祭祀遺跡が出土している(※注1)。縄文時代には死と再生の循環を司る神霊・蛇神(大地 の神霊)が広く信仰されていたことであろう。三輪山もそうした蛇神信仰の象徴としての神奈備山(蛇がトグロを巻いた姿形)であったのだ(※注2)。

 また、そうした神が磐座に降る(宿る)とする信仰が起こり(磐座信仰)、その遣いの蛇神、雷神の信仰へと発展していく。弥生時代になると、稲作の普及と共に水神(雷神・蛇神)、日神信仰(太陽・陽光信仰)も入り、最終的に大物主神へと人格化されていったようだ。

 三輪の神は古代よりこの地方の祖神として崇敬が篤かったのである(高天原系部族の来住以前に大和に住む先住民族が崇拝していた国魂の宿りし山=三輪山であり、火や水、死と再生を司る山の精霊であり蛇体の主=大物主であった)(※注3)。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)原始信仰では神木が神籬(ひもろぎ)とされ、巨石が磐境・磐座となり、精霊が来臨し鎮座して神奈備山になった(自然崇拝のナショナリズム)。磐座は神の降り立つ巨石の寄り代のことであり、神奈備山は神の住まう山のことである。

 このような信仰は、自然物を通じて感じられる「隠れ身の神性」への畏敬の念であった。具体的なモノの背後に感るインスピレーション、聖なるもの の感覚である(モノ=精霊と古代の人々は考えていた)。大神神社には今でも本殿がないが、それは三輪山自体が御神体だからである。

 その後、剣や鏡、勾玉などを用いて豊穣を呪術する呪物崇拝のフェティシズム、巫術で精霊やカミと交流する術を身に付けた巫覡(ふげき)が行う シャーマニズム(原初的体験、脱魂=他界飛翔=エクスタシー、憑霊=神懸り=ポゼッション、忘我=恍惚=トランスを通して、超自然的な世界と人間界の交流 を可能にする)などの信仰が混在し、弥生時代における稲作生産の発展のもとで祖霊信仰も生まれていく。

(※注2)太古より、山は人間の生活圏であるとともに神の領域であった。山に入るにはきびしい禁忌が科せられ、限られた時、限られた人以外は立ち入ることのできない神聖な場所でもあったのである(禁足地、神域)。ことに神の坐す神奈備と呼ばれる山は特別に崇められた。

 たとえば、三輪山や富士山のような円錐形をした山や、二上山や筑波山のように二つの峰をもつ山は、神の坐す山として信仰の対象となり、山そのも のが神(神体山)であったのである。こうした考えは古くから人々に、常世国(他界・異界)から依り来る神が山を目印として寄りつく場所だと考えられてい た。次第にそこに神が常住するのだと認識されるようになっていったようだ。

 このことからも、神の坐す聖なる山(神奈備山・神山)とは、神の世界と人間の世界との境目として神と人とが交わる場所だということがいえそうである。

(※注3)太古より山に超自然的存在を見出す、アニミズム的観念ともいうべき自然物信仰があったことは、日本だけでなく普遍的な精神観・宗教観であった。超自然的存在に畏れ多いとする観念のなかに、畏怖・畏敬の念を抱く原初的山岳信仰を窺うことができる。

 古代には、人は亡くなると肉体から霊魂が離れ、その霊魂は祖先として残された家族を見守るとされている。そのことから生存者は、自分達を守護してくれる祖先の霊を尊く崇敬する。ここに祖霊への信仰が成立するのである。

 この際、祖霊があの世に行く前に集まる場所は山とされたり、時には山自体があの世とされ、祖霊の宿る場所とみなされるケースが、全国各地に残されている。このことからも、山は畏れ多い場所と考えられ、祖霊信仰における信仰対象に位置付けられた。

 古代の信仰には、山は神の宿る場所、もしくは神そのものであるとする精神観がある。こうした神奈備山信仰から、人は畏れ多いということで山には 踏み入ることがなかった。そこで山麓や平野部から山を崇めようとする信仰形態が生まれたと考えらる。ここから禁足地という概念と、麓から神祭りを行なう山 麓祭祀が発生するのである。

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◆出雲神話と高天原神話を繋ぐスサノヲ(七)

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◆◇◆出雲系神話と高天原系神話を繋ぐスサノヲ神話:大和の大物主神と大和朝廷(6)

 三輪山の大物主神の信仰は、三輪山周辺を支配していた火・水・死と再生を司る山の神の精霊であり(雷神・蛇神でもある)、高天原系部族の来住以前に大和に住む先住族が崇拝していた国魂の神であった。

 また、ヤマトタケル命(倭建命)の説話では、伊吹山の荒ぶる神を退治しようと出かけたところ、その山の神は大蛇となって道を遮り、雲をおこし、雹を降らせたという。山の神は蛇体となるだけでなく、時には白猪や白鹿となって現れる。

 このように日本の山の神は、三輪山の大物主神や伊吹山の荒ぶる神のように、山の神→蛇、坂の神→鹿などと、神の使い(attribute)・神の具現としての山河の荒ぶる姿として登場してくる(世界の神話にも多く見られる)(※注1)。

 『記・紀』神話のなかには、大物主神の出現をどのように描写しているのであろうか。オホナムチ命(大穴牟遅命・大穴持命・大己貴命)の国作り説 話のなかで、海を照らして依り来る神(この時に海を光して依り来る神ありき『古事記』。時に神しき光、海を照らして、忽然に浮かび来る者あり『日本書 紀』)と述べている。

 海を照らす神は、豊穣をもたらすマレビトであり、原初の太陽神・海神であったのだ。古代の人々にとって自然がそのまま神(太陽・大地・山・火・ 水・樹木・岩石など自然のすべてに神が宿るとするアニミズム)であり、神がそのまま自然であったのである。人間はこの自然の懐に抱かれ、生きてきたのだ (生かされてきたのである)(※注2)。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)神話の世界は、アニミズム(精霊崇拝)や普遍的な自然信仰を底流にし、宇宙の成り立ちから歴史上の事実と思われることへの探求、自然の力や人間の死後と再生への探求へと広がりをみせる。

 そのイメージは、経験的、客観的、合理的にみれば意味のない抽象的なもの(神話的、非合理的な思考によるもの)に思えるかもしれないが、神話学 者のジョゼフ・キャンベルが述べているように、「詩的な、神秘的な、形而上的な」感覚をもってみれば、神話をイメージした古代人の死生観や世界観の精神構 造(精神世界、民族の深層意識を語り継いだ物語)が浮かび上がってくる。

 古代の人々は、死と再生の円還的循環(生命の永遠、霊魂の再生と循環)を通して、自然を畏敬し(共生し)、自然(生命の再生と循環システム、生きとし生ける者はすべて大地から生まれ大地に還る、多様性の中の共存)の懐に抱かれ調和してきたのである。

 しかし、現代文明は神話的、非合理的な思考法から脱却すところから、学問研究の諸分野が形成され、近代的文明が形成されていきた。こうした科学 技術の発展と文明の進歩(生命の最内奥の仕組みから宇宙空間の構造の研究と知識)は、人間の自然への畏敬の念を奪い(科学技術の発展は、自然を支配できる と考えるようになった)、地球環境の汚染と破壊をもたらしている。

 現代人は、今一度、古代の人々が自然と宇宙の間に神秘で偉大な生命力を直感した壮大な想像力を思い起こさなければならないのかもしれない(古代の人々は、物質的なものよりも霊魂の方がより現実的と感じて、個人それぞれが魂の完成に力を注いでいたのかもしれない)。

 神話が伝えてくれる古代人の精神(感性)が、一元的文化(アメリカ文化を代表する今日的な世界状況)によって席捲される中、多様な文化(マルチ・カルチャリズム)の広がりをもたらし、多様性の中の共存の理念を築いてくれるかもしれない。

(※注2)自然=神は、人間の想像を超えた(人智を超えた)計り知れぬ力を持ち、人間に豊かな恵みを与え、ときには底知れぬ猛威を振るう。それゆ え古代の人々は、自然の恵みに感謝をし、自然の猛威に畏怖し、ただその怒りを鎮める以外になく、その自然の偉大な力が神として崇拝されたのである。

 自然からするとどうしようもなく小さな存在(無力な存在)でしかない人間は、豊かな想像力(プリミティブな心性)を大いに働かせ、太陽・大地・山・火・水・樹木・岩石など自然のすべてに対して、生き生きとした自然観を心象風景としてとられたのだ(原初的な自然観)。

 古代の人々は山川草木に宿る想像を超えた大自然の力に神秘的な神性を感じ、その自然に対して無条件に畏敬の念を抱いたのである(自然崇拝)。

スサノヲ(スサノオ)


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◆出雲神話と高天原神話を繋ぐスサノヲ(八)

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◆◇◆出雲系神話と高天原系神話を繋ぐスサノヲ神話:大和の大物主神と大和朝廷(7)

 東アジアの照葉樹林帯(※注1)では、採集や狩猟など山や森での営みには必ず山の神の加護を祈っていたようである。例えば、焼畑の造成(森林を 伐採・火入れ)に先立っても山の神に供物と祈りを捧げてきたようだし、村の男たちが総出で狩猟に出かけ、獲物の多寡で豊凶を占う儀礼的狩猟の慣行も広くみ られる。また、死んだ人の魂が、山の頂上へ上っていくとする宗教的観念があった。

 こうした文化は照葉樹林文化(※注2)と呼ばれている。この照葉樹林文化の特色を生み出した生活文化の基層には、山と森への深い信仰があったことを窺い知ることができる。(※注3)

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)太古の昔、照葉樹林帯は中央アジアのヒマラヤ山脈麓を起点として中国・雲南省、長江以南、台湾を経て南西諸島、日本の南半分に至るまで、帯状に分布していた。

 照葉樹林(年間を通して常緑に輝く葉を持つカシ、クス、シイ、クスノキ、タブ、ソテツ、ツバキ類等の常緑広葉樹林)は、温暖で雨に富む湿潤地帯にのみ発生し、森林の蘇生力が非常に強く、いくら樹を切っても自然の状態に戻せば砂漠化せず、やがて常緑の森林に戻る。

 昼なお暗い神秘の森の辺に住んだ人々が、心象風景として森の生命の息吹きのなかに、神々の世界を見い出したのである(神の宿る恐ろしい森とは、 鬱蒼と樹木の茂る暗闇の照葉樹林の原生林であった。そうした森は、自然本来の生命力を持ち、人間にとっては恐ろしく凶暴なものであったが、神秘的な生命力 の宿る神々の坐す森や山であったのである)。

(※注2)照葉樹林文化には、各民族に共通する多くの文化的要素がある。イモ・雑穀・茶の栽培、綿花・柑橘類の栽培、養蚕、漆器の製造、麹を用いた酒・味噌の醸造、豆腐・納豆・餅・な熟れ鮓の製造など多岐にわたる。

 またその後、焼き畑農耕や大豆発酵食品のみならず、神話や儀礼・習俗(ハレの日に餅を食べる習慣や歌垣などの生活文化、麹酒は山の神への祈りに 欠かせない供物であった)など、精神文化の共通性も知られるようになり、いまや日本の深層文化を形成するものと考えられている。

 さらに照葉樹林文化の基盤はイモ・雑穀類を主とする焼き畑農耕であるところから、稲作文化誕生の母胎となった文化であるとする考えもある。

(※注3)照葉樹林文化の特徴を一言でいえば「循環と共生」ということになる。この文化の地帯では、狩猟採集と小規模な栽培を生活の基本としていたため、森や水がもたらす恵みとその再生力に見合った程度の生産活動しかしてこなかったと考えられる。

 そして森や水辺の動植物や滝、樹木、岩石等に八百万神の存在を認め、獲り過ぎや行き過ぎた開発は祟りを被る行為として厳しく戒めていたようだ。 このような多神教的な信仰形態は地域社会に異文化・異端を受容する風土(寛容さ)を生み、多様な価値観の中で共に調和して生きていこうとする精神が育まれ ていたと考えられる(共生の精神)。

スサノヲ(スサノオ)


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◆出雲神話と高天原神話を繋ぐスサノヲ(九)

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◆◇◆出雲系神話と高天原系神話を繋ぐスサノヲ神話:大和の大物主神と大和朝廷(8)

 日本列島は、面積に比べて南北に広いため、和辻哲郎がいうようにモンスーン的風土(和辻哲郎は、その古典的名著『風土―人間学的考察』の中で、 アジアのモンスーン的風土、アラビア半島を中心にした砂漠的風土、そしてヨーロッパの牧場的風土という三つの類型を設定した)としてひと括りに捉えること には、多少問題がありそうだ。

 太古の日本列島は樹相の分布をみても、照葉樹林(カシ、クス、シイ、タブ、ツバキ類など)は日本列島の西半分を中心に分布し、東日本の大半は温 帯落葉広葉樹林(ナラ、ブナ、クリ、カエデ、シナノキなど)に覆われていた。そのため、日本文化の源流を「照葉樹林文化」(※注1)だけで捉えるには無理 がありそうである。

 日本の中央高地から東北・北海道南部にかけて広がるナラ・ブナ林帯には、縄文時代以来、独自の農耕文化・生活文化が営まれてきた。ナラ林文化 (ブナ林文化)(※注2)の特徴は、照葉樹林帯よりも食料資源が豊富なことである(クリ・クルミ・トチ・ドングリ・ウバユリなどの採集)。

 日光照射もあり植物種も豊富なため、狩猟対象となる動物(トナカイ、熊、鹿、海獣など)や漁撈の対象となる魚介(サケ・マスなど)も多くいた。これらの狩猟・漁猟・採集文化により、縄文文化はナラ林文化の下で発展していった。

 東北日本には、照葉樹林文化と融合し稲作文化を発展させた大和政権(稲作を基盤として成立した大和朝廷)が東漸するまで、まったく異なる文化が花開いていたのである(※注3)。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)日本の北半分はナラ、ブナ、クリ、カエデ、シナノキなどの温帯落葉広葉樹林に覆われていた。南方に連なる照葉樹林文化に比して、朝鮮半 島から東アジア一体に連なる温帯落葉広葉樹林帯の文化を「ナラ林文化」(ナラ林文化の下で独自の自然崇拝信仰を生みました)と呼ばれる。

 日本の縄文文化は、主にナラ林文化(ブナ林文化)の下で、東北日本を中心に発展した(日本の南半分とは食体系が違い、日本の北半分では採集・狩猟・畑作資源が豊富なため、すぐには生活スタイルを壊してまで稲作を始める必要がなかったのかもしれない)。

 このように、日本の文化の源流(基層)には、東西二分する別々の文化圏があったとされている(方言・味覚など)。

(※注2)三内丸山遺跡をはじめとする最近の発掘調査は縄文文化と縄文人のイメージを大きく変えた。集落の中央には直径一メートルの太い柱を使った大型建物を作り、そしてヒスイや漆を加工していた。

 クリを栽培し、周辺の森も人間が利用しやすいように管理していた。遠方から黒曜石や、琥珀などが運ばれ、交流・交易も活発であったと考えられる。定住生活が、本格的に営まれていたのである。

(※注3)東日本(ナラ林文化では、木の実-栗やくるみなどの堅花を加工して-は、そのまま食べられるので、冬の保存食として最適だったようだ) に比べて、西日本(温暖な照葉樹林文化では、木の実はアクが強く、そのままでは食べられなかったようであす)は食糧に乏しかったのか、日本の縄文文化は、 主にナラ林文化の下で、東北日本を中心に発展した(日本の南半分とは食体系が違い、日本の北半分では採集・狩猟・畑作資源が豊富なため、すぐには生活スタ イルを壊してまで稲作を始める必要がなかったのかもしれない)。

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◆出雲神話と高天原神話を繋ぐスサノヲ(十)

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◆◇◆出雲系神話と高天原系神話を繋ぐスサノヲ神話:大和の大物主神と大和朝廷(9)

 日本列島は春夏秋冬の四季に恵まれ、花鳥風月の四季の移ろいは、人々の風土と文化をかたちづくってきた基層となっている。春の花、梅雨の長雨、夏の緑、秋の台風・紅葉、そして冬の雪などは、日本の自然の豊かさの象徴でもある。

 私たちは、このような四季の自然の移り変わりを、当然のように享受しているが、実は、このような多彩な、しかもめり張りのある季節の移り変わり は、地球上、どこにでもあるわけではない。チベット高原・ヒマラヤ山脈の大山塊が、大気大循環の季節変化に大きく作用した結果、この山塊の風下側に位置する列島に現れた現象なのだ(※注1)(※注2)。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)夏に至る時期には、チベット高原は大気を強く暖め、南のインド洋から大陸へと湿った空気の流れ、即ちモンスーンの気流を強めるが、その湿った気流の本流は高原の障壁効果と地球の自転効果で高原の東側、すなわち東アジア方面に向かう。

 一方、高原の北を迂回して乾いた偏西風も東アジアに南下して、南からの湿ったモンスーン気流と出会う。そこにできた不連続線が、梅雨前線だ。冬 には、チベット高原が巨大な壁のように寒気を大陸内に塞き止め、時折風下側に、冷たい北西季節風として東アジアに溢れだす。暖かい日本海で熱と水蒸気を たっぷり供給されたこの季節風は、日本海側に大雪をもたらすことになる。

 こうした日本の気候の変化は、日本人に四季折々の風情や文化(習俗、文学、芸術など)を生み出した。哲学者の和辻哲郎はその著書『風土―人間学 的考察』の中で、人間の精神はその風土に強く影響されると主張した。風土とは単に気候や地理的条件だけではなく、地質や地味、景観などを広く含んだ概念で あるが、和辻は大きく三つの風土(アジアのモンスーン的風土、アラビア半島を中心にした砂漠的風土、そしてヨーロッパの牧場的風土という三つの類型を設定 しました)を考え、それぞれの風土がどのような人間の精神を形作ってきたかを明らかにしようとした。

 和辻の風土論は、現在学問的には厳密さを欠くものと考えられているが、しかし人間の精神のあり方が、それらの人々の住む自然のあり方に大きな影響を受けて形成されるということは間違いないことのようだ。

(※注2)日本人の考えた神々は自然現象の神格化(また観念の神格化)であり、こうした神々を総称して「八百万の神」という(後に、各氏族の祖先神=氏神などの人格神が現れる)。

 日本人は自然の織りなす森羅万象(山川草木・生きとし生けるものすべて)に神が宿るという汎神論的な多神教の世界観を持ち、自然現象の中に霊的なものの存在を認めるアニミズム的神観念(精霊崇拝)を持っていた。

 日本の神は無限の恵みをもたらす神であると同時に、一瞬のうちに略奪の限りをつくす荒ぶる神でもあったのである(こうした両義性を持つ神に対し、豊穣をもたらす神をもてなし荒ぶる神の怒りを鎮め、祭りを通して崇拝してきた)。

 また、そのような神に対して、日本人は心情の純粋さを尊び、谷川の流れのように澄み切った濁りなき誠実さを尊んだのである。これが「明き・清き・直き・正しき心」(人間は本来、神の分魂と考えられました)である。

 この神に対して欺き偽るといった心(汚き心)がないこと、神の意志に一致している心である清明心は後代には事物や人に対して偽ることのない心情と考えられ、素直な心、天真な心、私心のない心、正直な心、誠の心というように日本人の倫理・道徳的心情となっていった。

 また聖俗の区別は美醜や清浄不浄と同一視され、罪とは身に付着した外面的な穢れ(日本人は血や死などの穢れを非常に忌み嫌いました)とされ、禊 ぎや祓い(精進潔斎や人形祓いなど)によって取り除くことのできるものと考えられた(穢れを排除し、生命の輝きを取り戻そうとした古代の人々の思想であ り、大自然に抱かれた魂の循環と再生のシステムである)。

 こうしたニッポン教ともいうべき聖俗観は、今日まで連綿と受け継がれているのだ。

スサノヲ(スサノオ)


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